クラフトマンの私事

1.5流の考える就職・転職・恋愛のこと

両親を憎んでいるけど、同時に感謝もしている

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はてなブックマークに上がっていた以下の記事が「これマジで僕のことじゃないか」と思うぐらい似ていると思い、書かずにはいれなかった。ちょうどプロジェクトも終わって少し時間あったしね。

 

anond.hatelabo.jp

 

いつもの就活論、転職論とは少し違った毛色であり、自分語りになってしまうので「それでもいいよ」って人だけ読んでいただければ。あくまでブログだしね。でも、これはあくまで自分のためにも、少しまとめて書いておきたいなと思う。

 

■目次

 

 

極貧の時代

 

僕はとても貧乏な家に育った。両親と妹の5人家族ね。

 

オフィス兼の家を買って小売業を営んでいたけど、バブルがはじけた瞬間成り立たなくなり倒産し、そこから貧乏生活が始まった。家のローンは毎月14万ぐらいあって、店の負債もそれなりに支払わねばならなかったから、生活が逼迫するのは必然だったわな。

 

父親はトラックの運転手、母親はパート、それでも年収はたしか合わせて500万円程度。その中から負債を払っていたから月の生活費は約10万ぐらいじゃないかと思う。親は契約社員だったから、その間昇給なんてほぼなかったからね。

 

想像してみてほしいけど、10万で家族5人生きるのって壮絶だよ。
何かイベントあったらすぐお金ショートするしね。苦笑

 

お小遣いなんて当然ないし、お年玉だって全部回収されていた。良く話しているけど、クリスマスに目玉焼き3個 (妹もいるから1人1個かな)だった時もあった。たまに食べられるぱりぱりチョコのアイスが結構な贅沢品だったような記憶がある。

 

それだけならまあまだいいんだけど、一番嫌だったのは毎日親がお金のことで喧嘩してることだった。毎日パートに出てる母親が家に帰ってくると「XXXXXX(ちょっと書けない)~!!!!」と叫んで父親と喧嘩してるんですよ。

 

 

あれはさすがに応えたなあ。

 


18歳で家を出るまで、ずーっとその叫び声聞いてたから、今でも布団で寝ているとたまにその叫び声が夢の中に出てくるぐらいのトラウマレベル。まあ、そんな家庭が子供の時の僕の極貧家庭環境です。

 

 

勉強だけはさせてくれた

 

まあそんな両親でもいいところはあって、とにかく勉強だけはさせてくれた。というか今となってわかるけど、テストの点数でしか僕のことを評価していなかった。笑

 

小学校、中学校はまあ周りがそんなに優秀じゃない(偏差値36以下の高校に半数いくような小・中学校)からなんとかなったんだけど、間違って進学校に高校から入ってしまったからあらまあ大変。あっという間にびりっけつから10番以内に入ってしまった。

 

でもまあ聞いておくれよ。

 

お小遣いなかったから、やっぱり高校入ったらバイトしなきゃあかんかったんですよ。時給720円のコンビニバイトとかだったかな。毎朝3時間ぐらいバイトして、毎月4万円ぐらい稼いで。それで妹のボロボロになった体操服とか買ったっけかな。懐かしいな。

 

でも、両親は許してくれないわけですな。勉強が全てだから。

あんときはめちゃくちゃ怒られて、生きてる価値すら全否定されたっけか。これもトラウマで、今でもそのときのことを思い出して、夢に出てきて、結構悔し涙をするときがあるんだな。

 

 

期待値を超える

 

なんやかんやでそんな家庭環境だったのでぐれそうにはなってましたが、進学校だったので先生が見捨てずにいてくれたのと、席の後ろが学年1位の超優秀イケメン君だったのもあって、少し勉強やる気になりまして。

 

「どこにいってみたいんだ?」
「うーん、○○○?(知ってる名前答えただけ)」


偏差値が自分の身長よりも高いところにあったもんでね、それから必死。びりギャルとおんなじぐらい必死。なんせゲームのおかげで現代文は得意だったけど、それ以外赤点のところからマジでスタートですからね。頑張りました。

 

で、何とか都内の某大学に合格したんだけど、そこで両親の期待値を完全に超えたのよ。あのときの両親の自慢気な顔が今でも忘れられない。某中堅私立大学の入学用紙を捨てて笑っていた両親の顔は今でも忘れない。

 

まあ、それだけ嬉しかったんだろうね。
今思い出すとすこしぞっとするけど。

 

 

稼いで自由を得る

 

大学に入ってからは一人暮らしをしたんだけど、まあ家賃なんかは稼がねばならず、その他の生活費も稼がねばならず、相変わらずの極貧生活。

 

でも、大きく変わったのは、

 

「両親の叫び声が聞こえない」
「何をしていても文句を言われない」


っていうところかな。

だから極貧生活でも楽しかった。というか、やっと監獄からでて、自由になった気がした。稼げばおいしいものも食べられるし、家事も自分でやっていいし、好きな服を買ってもいいというのが本当に良かった。

 

それが大学時代に感じたことだし、まあ社会人になっても稼ぎ続けて今に至るというわけです。でもまあ、トラウマというのは消えないもんでね。家にいたときのフラッシュバックが今でもたまにぶり返すことがある。心の傷は残っているわけですな。

 

 

両親を憎んでいるけど、同時に感謝もしている


自分語りになってしまい、申し訳ない。

 

でも、幼少期にあまりなんも考えず子供を産み、十分なインフラがないまま子育てをして、今でも残るトラウマ(叫び声とかね)を僕にも妹にも植え付けた両親のことは、僕はきちんと憎んでいる。それは今でも同じ。

 

ちなみに、このことはきっちり両親に伝えている。

 

自分達がどれだけ被害を被ったか。どれだけ辛かったか。この憎しみは多分永劫ずーっと続くだろうことも。家庭における教育が全くなかったからどれだけ学ばないといけなかったかということも。

 

両親もそのことについては納得済みで、ぐうの音も出ないよう
(さすがに一番最初にそれを伝えたときは勇気がいったけどね。笑)

 

と、同時に感謝もしているのも一つの本音。

 

産んでくれたこと、きつい生活だけどなんとか死なないで成人にはさせてくれたこと、勉強だけはさせてくれたこと、「こんな家庭に絶対に自分はしない」と反面教師になっていることは、結構感謝しているところでもあるんだな。

 

特に、貧困による家庭の失敗例を目の前で経験できたのは、他の人には経験しがたいところだろうしね。そういう人に寄り添うとか、そういう人たちの辛い境遇を自分の中で反芻して共感できるとか、それは僕しかできないからね。

 

そういう意味では、感謝はしている。
ホント死ななくてよかった、って程度だけど。笑

 

 

両親を無条件に尊敬する必要はない

 

このブログを見ている人は大学生、社会人の人がきっと多いよね。

 

で、これまで教育の中で「親への無条件の尊敬」を道徳とかで植え付けられてきた人もいると思う。世の中の普通の家庭の人たちはその「親への無条件の尊敬」に値する素晴らしい両親なんだろうな、と思う。

 

しかしながら、僕みたいな家庭に生まれて、トラウマレベルで生活を脅かされながら生活してきた人も大なり小なりきっといるはず。僕とは違う形で追い詰められて、トラウマを実は抱えているという人もいるんじゃないかと。

 

そんな場合は、両親を恨んで、憎んでもいいんじゃないかな。

 

育ててもらったこと、産んでもらったこと、その他細かい小さなところは感謝しつつも、「親としての基盤が足りないところで、トラウマを植え付けられた、もしくは心を追い詰められた」経験があるなら、それは人と人の関係として、きちんと恨んで憎むっていう行為をしても許されるよ、きっと。

 

というか、それやると、結構すっきりするよ。お試しあれ。
感謝だけじゃない、親との付き合い方も、一つの関係性だからね。笑

 

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ちょっと散文的になってしまったけど、読んでくれてありがとう。

なんか少しすっきりした。
まあ、こういうのは個人の過去の整理のために書くようなものだよね。

次からはまた、就活・転職の話を書こうと思います。
よければみてやってください。

 

クラフトマン

 

 

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